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私たちはたいそう様々なモノをつくりだし、様々なモノに囲まれ、便利で快適で一見豊かな生活を送っている。
でもそれって、自然の資源やエネルギーを大量に使っていない? そこまででなくてもいいんじゃない? そろそろ地球が危ないっていってるよ。 7~8年前から、サスティナブル=持続可能な、という言葉が、とても気になる言葉としていつも意識のどこかにあった。 その言葉は、1992年のブラジルでの「環境と開発に関する国連会議(地球サミット)」で採択された行動計画「アジェンダ21」で打ち出された、「持続可能(サスティナブル)な開発(ディベロップメント)」の「サスティナブル」から来たもので。 開発しながらも環境を持続させるという、サスティナブルな状態。 そんなことできるの?と思いながらも、一筋の光のように、すがるように、気になる言葉になった。 それから3年経ち、京都議定書発効以降、より身近に環境問題について多くの人が考えるようになったとき、私もこれからは、いえ、これからだこそ、サスティナブルな状態が大事なのだと、具体的なことはイメージできていなかったけれど、確信したのだった。 サスティナブルな状態というのは、すべてのものが共存共栄にあること。他のものを脅かさず、平和で平静な状態を保っていること。そこにあり続けられること。 ごく普通の当たり前の状態のように見えて、今の世界は当たり前でないように思えた。 そんな風な目で私たちの生活を見てみると、モノを買うことに慣らされ大量に消費し、経済至上主義がいきわたり、安い労働力や材料に頼った外国産のものばかりで、国産のものがすくなく、国敗れて山河あり。 腐らず使いやすく便利なのはわかるのだけれど、どこでもプラスチックなどの二次製品ばかり。 戦後、今から40年ほど前までは、今よりかははるかに便利な生活はできていなかっただろうけれど、物欲や独占欲もここまでではなく、ささやかに、身の回りで使えそうなものを手作り・工夫でカバーしてきたり、里山から採集してきたものを利用したり、日本全国の人々がそんなふうに暮らしていたようなのだ。 そんなところから、里山と人との関係について関心を持つようになる。
by soraniwa00
| 2006-11-27 01:18
| みどりみどり。
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