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植物、緑が嫌い、という人はほとんどいないと思う。
まちから緑がなくなったら、人工物ばかりだったら、やはり寂しいし、息苦しい。 でも普段は、外を歩いているとき、街路樹や、道端の植物をじっとみているわけじゃない。 自分の家の近くだって、どこにどんな緑がみられるかなんて、わからなかったりする。 緑が好きな人以外は、緑がなにげなく存在していればいるほど、そこにあるということすら知らなかったりする。 でもたまに、普段は緑に関心がなくても、いつもはあわただしくてざっとでしか見ていなかったとしても、ゆっくりした時間がとれたときなんかに、「こんなところに大きな木があったんだ」とか、「花が咲いている」とか「紅葉している」とか、はっと植物と近くなる瞬間もある。 都会では、建物など人工物の存在が大きくて、緑はちょっとしたスキマでしか見られない、添え物のようにも写る。 また派手でもないし、花が咲いたときとか以外は、基本的に地味で控えめな存在ともいえる。 でも、植物の生命力やエネルギーを感じるとき、たった1本でもその存在は大きかったりもする。 圧倒的な量の人工物に囲まれているからこそ、なにげない普通ぽい緑でも、あまりよろしくない環境のなかでも、懸命に生きているって感じたりもする。 緑のことを思うとき、私は、私たちの日々の生活や活動をやさしく支えてくれる、見守ってくれる、そんなエネルギーを、包容力を感じる。 植物の一つ一つの姿は美しい。 植物の自然の、ありのままの姿は、十分に私たちに「美しい」っていう気持ちを沸かせてくれるものだと思う。 でも、まちの緑で、街路樹や、狭い敷地に植えられたものは、人の手で、大きくならないように強くセーブされて、本来の美しさが見れなくなったものもある。 緑が「商品」のように扱われて、なにかその植物の個性が失われているようなものもある。 私たちは、そんな、人間の手で管理されすぎた緑を見すぎているから、緑の雄大さやパワーに身をゆだねきれていないだけだと思う。 そういう意味で、緑、植物のもつエネルギーや存在感を、いろんな人々になんとなく感じてもらうために、植物それぞれの個性を生かした、植栽のデザインも場所場所に応じて、必要なのだと思う。 緑が「商品」ぽく、わざとらしくならないように気をつけて、ね。 長いお付き合いは、商品ぽいと飽きられてしまいますので。
by soraniwa00
| 2006-10-14 08:33
| みどりみどり。
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